インドでの生活はいつも思い通りに行かないもの。ポロのためにインドに移住して意気揚々としていたものの、実際には怪我とコロナで戦線離脱する月日も長かった。
私のこれまでのインド生活の5年間では、骨折 (インプラント) 手術、抜釘 (インプラント除去) 手術、8針の緊急縫合で病院にお世話になっている。
それ以外にも、小さい頃から抱えている左耳の損傷で、頻繁に病院に行く。今回は、インドでの手術と医療現場はどうかという観点でレポートしたい。
① インドの医療現場
私が住んでいるグルガオンには、①Fortis、②Artemis、③Medanta、④Max等の巨大総合病院がある。これらの病院のロビーは5つ星ホテルのロビーよりももっと広い。医師たちも、基本的には海外の大学を出ていたり、海外での医療経験を積んでおり、特に不安はない。上記の総合病院での医師の診察料は1回Rs. 1,000~1,200程度。
ただ、毎度病院にお世話になる度に苦労するのが、以下の点だ。インドの病院は非常に非効率で、毎度ストレスになるため、病人が余計に病人になることは覚悟しておきたい笑。
- 病院予約の際、自身で英語での病気のカテゴリーと医師を選ぶ必要がある。
- 医師は、選択肢があり過ぎてどの医師を選んだらいいのか分からない。
- 総合病院だと、病気のカテゴリーで受付が違い分かりにくい、どこに行ったらいいのか迷う。
- オンライン予約しても受付で再度手続きがある(オンライン予約の意味はほぼなし)。
- 医師は手術をしたがる傾向にあると感じる。
- 医師の診断後、レントゲン検査等をしないといけない場合には、また会計カウンターに行って支払いを済ませてからの検査となり時間がかかる (フロアが違う場合には行ったり来たりしないといけない)。
例えば風邪をひいた時、”General Physician”の医師を探す必要があるが、大きな総合病院ではこれで検索しても出てこず、”Internal Medicine”等の表記になっている。また、耳鼻咽喉科の場合は、”ENT” (+ Ear, Nose, Throat)、骨折は整形外科で”Orthopedics”だ。
そんな不安を解決してくれるのが、医療現場でのジャパニーズヘルプデスクで、グルガオンだとFortisにオフィスがあり、医療代行を行ってくれるため、不安な方にとってはとっても良いサービスだ。出向者の方はこのサービスを利用している方が殆どであろう。
ただ、いくら日本語でサポートを受けられるといえど、高熱や軽い症状の場合に巨大な総合病院の中を歩くのは辛い。そんな場合には、小さな日系の医療機関や家の近くのローカルの個人経営クリニックを見つけておくと良い。
グルガオンにある日本人通訳常駐のクリニック
(保険適用できない場合、診察料は高いのでご注意)② バンガロールでの骨折手術
骨折原因
2020年12月、インドに来て2年目が終わろうとしている時、Embassy International Riding Schoolというバンガロールにあるインドトップクラスの乗馬クラブでジュニア国体が行われることになっており、このジュニア国体で自馬を貸すことになっていたために、バンガロールで自馬の調整を行っていた。
ジュニア国体ともなれば、インド全土から200頭以上の馬が集まる。練習馬場は沢山の馬やライダーでごった返す。周りにはスタリオン (未去勢の雄馬) も沢山おり、1頭が暴れれば他も暴れるという始末で、私の馬も追従。その後、バランスを崩して左足だけで着地(落馬)。派手に落馬した訳ではなかったが、左足だけで着地して尻もちをついて、その後補助なしでは立つことが出来なかった。
病院での処置
落馬後、バンガロールで一番有名だった、近くのColombia Asia(現在はManipal Hospital)に、グルームにスクーターで連れて行ってもらった。スクーターから落ちないように必死でグルームにしがみつき、病院では車椅子に乗せてもらい緊急処置室に通され、レントゲン検査を待った。左足首あたりがパンパンに腫れ上がって動かせない。
検査の結果は、着地した衝撃で足根骨と脛骨&腓骨がぶつかり合い、脛骨と腓骨の方に上向きに何箇所かひび割れして複雑骨折だった。一部、骨の破片が剥がれているのも見えた。三角靭帯部分も激しく損傷したようで、それが腫れの原因だったようだ。
骨折したのはちょうど会社の休暇中。初日にはギブスで固定してもらいホテルに戻ることに。骨折後3日間は痛みで何も出来ず、そんな中、借りていたスクーターを返さないといけないとなった。返却の際、事故したんじゃないかとモメて時間がかかり、精神的にも限界になる。
12月はバンガロールは寒過ぎずいい気候。一方、12月の北インドと言えば、毎日5~10度程度で寒く、大気汚染は酷く空気も乾燥している。そんな極寒の北インドに片足で帰る元気はなく、どうやって空港に行って家まで帰るのかという不安も抱えていた。
そんなこんなで5日が過ぎた後、経過診察で医師の元へ。医師は、グルガオンに戻って手術すると思っていたため勧めなかったとのことだが、骨折を見ると、このままギブスで自然治癒を待つよりも、インプラント手術でプレートとネジで固定した方が良いとのことであった。ここで、必ずセカンドオピニオンを取ることが大事であるが、痛みでそんな精神状態と肉体状況ではなく、医師の勧めの通り手術をすることにした。
手術当日の高熱とインプラント手術
入院はこの診察後の2日後。会社の入院保険適用で、キャッシュレスとしてもらえるように会社と保険会社にも連絡をして、入院の次の日に手術という段取りで入院手続きを進めた。
が、入院当日に40度の高熱。ブルブル身体が震えてナースコールを連打するも誰も来ない。死ぬんじゃないかと思う程の寒気の中、やっと看護師が到着。ナースコール鳴らしたのに!と、無い元気を振り絞り文句を行ったら、「ナースコールはメンテナンス中なの」と、、、苦笑。高熱で手術は2日延期となった。
リスケされた手術当日、朝7時開始ということで、朝6時に身体を洗って手術着に着替えて欲しいという指示。前日夜から飲食一切禁止。手術室に入る手前で点滴等が付けられ、その後手術室に入る。手術室に入った後、下半身麻酔をして感覚がないことを確認。寒い手術室、看護師さんが温風を肩の所から入れてくれて予定通り手術開始。
手術中はこれまでの足の痛みと数日前の熱のせいで寝てしまったが、9時くらいに目が覚めてからは寝られず、ずっと後ろ姿にいた看護師さんに『あとどれ位?』と何度も聞いた。ネジをはめ込むウィーンという大工のような音も聞こえた。何だかんだ終わったのは11時だった。
手術後4時間は水が飲めなかった。温風のせいで喉がカラカラになっていたのもあって辛く、唾液で必死に我慢した。それ以上に、麻酔が切れた後が激痛。血が溜まらないように脚にチューブを付けて血が外に出る処置がされていたのだが、これが痛くて痛くて、いっそ脚を切り落としてくれた方が楽だと思うような痛みで次の日まで泣きまくった。頭痛と吐き気もあった。そして手術後の2日後には退院。しかし、術後で喉を通ったのはフライドポテトと卵スープくらい。さすがに日本のお茶漬けが恋しくなった。
入院生活で辛かったこと
入院生活で一番辛かったのが、ナースコールが鳴らないことやペラペラの病院ベットではなく、朝5時前後からいろんな人がひっきりなしに入ってくること。看護師はいいとして、それとは別に、まずは朝5時にシーツを変える人が来て、掃除も乾拭きの人が来たら次はモップがけの人が来て、トドメはルームフレッシュナーを撒く人が来る。これらを朝っぱらから病人の病室でやるべきかは疑問だった。
あとは、この病院に限ったことだろうが、食事サービスが無かった。何も食べられる元気はなかったが、毎日ヨーグルトとバナナだけ友人に買ってきてもらった。
退院後とコロナの発生
手術後も飛行機に乗って寒いグルガオンに戻る元気と勇気がなく、何だかんだ3回ほど飛行機の日程を延期して、骨折から3週間後の12月の月末にグルガオンに戻った。航空会社への車椅子手配はオンラインで申請、その後友人が航空会社と連携してくれて、空港到着時にヘルパーさんが車椅子を準備して待っていてくれた。航空機には車椅子を押してもらって乗るのかと思いきや、一旦外に出されて、航空機の右側からリフトで持ち上げられ、右側のドアを開けて入れられた。デリーの空港でも別のヘルパーさんが外までアシストしてくれ、到着ロビーで大して好きでもなかったが、いつもの会社のドライバーさんの顔を見た時には何だかほっとした。
グルガオンに戻ってきてから、北インドは寒い冬。そんな中で一本脚での生活。シャワーが一番辛い作業であった。そんな時、スリランカ駐在時代の親友が、ネパール出張があるということでインドトランジット時間をたっぷり作って寄ってくれた。グルガオンで一番大きいAmbience Mallというショッピングモールに行ったが、車椅子サービスがあるとウェブサイトに載っていたため電話しておいたら、当日、ちゃんとセキュリティゲートの所で車椅子を準備してくれていた。私の友人もきっと、私の車椅子を押してショッピングモールを歩く日が来ることは想像していなかったであろう笑。
そんな嬉しい出来事が去り、少し暖かくなってきた2020年3月半ばにコロナが発生。コロナが発生した際、私はまだ松葉杖が外せなかった。そんな時にロックダウン。神はいくつ私にインドでの試練を与えるのだろうと考えたが、片足で日本に帰る選択肢はなく、インドに残留することに。
コロナで簡単に身動きが取れない中での松葉杖生活。松葉杖なしで何とか歩けるようになっても、コロナ下で行動規制があり、いろんな所が開いていない。靭帯を損傷していたため歩けても長距離は不可。アパートに来てくれる野菜売りだけを頼りに自炊して、その他日用品は、セキュリティのおっちゃんの自転車を借りて2km先の小さなローカルスーパーに行く日々を送った。この時、インドでバイクを買おうと決めた。
③ グルガオンでの抜釘手術
抜釘の判断
脚に入れたのはチタン製のプレートとネジ。プレートは10cmほどの長さで10本のネジで固定。この他、足首前を3本のネジで固定。これらのインプラントを取るか否かは意見が分かれるが、若いのであれば、もう一回抜釘手術をして異物は身体の中から取り除いておいた方が無難であろう。
いろいろネットで調べていると、取るタイミングは手術から1年以内、最大でも1年半が良さそうだった。いろんな方からの意見も聞いて、抜釘手術はグルガオンのFortisが一番だろうという結論に辿り着き、沢山の医師の中から、インド軍に7年勤務していた医師を選択した。整形外科医は沢山いて誰が良いのか選べず、唯一彼のみが軍隊経験があり、軍の医師なら骨折手術等は経験豊富だろうという期待から選択した。
手術から1年経過しても、まだ骨の破片が剥がれた箇所が完全にくっついていないような雰囲気があり、何度か病院に通って手術の日付を検討していた頃、2021年4月にコロナの第二波が発生。この第二波では沢山の死者が出た。手術延期。とはいえ、早く手術しないと癒着が進んで取れるものも取れなくなってしまうかもしれず、特に足首前の3本のネジは特に違和感と痛みが激しく、右足と比べると半分も上がらない状態で裸足では上手く歩けなかったため、一刻も早く取りたかった。従い、少し第二波が落ち着いた2021年6月に手術を決めた。
抜釘判断する上ではレントゲン検査が必要になる。レントゲン検査はわざわざ総合病院に行かなくても、家の近くでレントゲン技師 (Radiologist) がやっているクリニックを探せば、サクッとレントゲンが取れて診断書がもらえる。総合病院の医師とのアポを取って、その後病院内でレントゲンを取るよりも効率的かもしれない。
入院と遺書
手術の場合には、”Admission Counter”という所で手続きを行う。いろいろ調べていると、抜釘後の1~2日は自身の脚で歩けないと幾つかのブログで書いてあったため、数日分の荷物と松葉杖を持って行った。
入院手続きを終えてエレベーターを登って案内された病室は、綺麗で広くて文句なし! 何と言っても、ご飯が美味しくてたまらず、おかわりした笑。辛くなくてこんなにも美味しいインド料理があるのかと感動した。
一方で、コロナの第二波後半であることには変わりなく、5月までは付き添いの方の入室も禁止されていたほど。手術で入院していた時にコロナに感染して、そのまま亡くなってしまったというケースを友人から幾つか聞いており、自分に何かあった時のために家族や友人が困らないようにと思い、『遺書』を書いた。遺書は実際には登記していないと効力はないが、コロナで法廷は開いておらず、そもそも6月は法定休廷の時期で登記出来ない。従い、その旨を遺書の冒頭にも書いておいた。
手術当日
手術当日は雨が降っていた。試合とトレーニングでジャイプールに居た愛馬と早朝からTV電話をしてもらい、涙がちょちょ切れる。先生が朝病室に入ってきて、手術する脚を間違えないようにとマーカーで矢印を書いて行った。バンガロールでの手術と同様、身体を洗って手術着に着替えたら、手術室に移動。
今回の抜釘手術で一番困ったのが、下半身麻酔が効くのに時間がかかったこと。手術室の時計を見て15分経ってもまだ感覚がある。麻酔科のトップのおっちゃんが呼ばれ、額に手を当てられた。もしこのまま効かないなら”put you sleep”する必要あるね、と言われ、何だか馬の安楽死みたいに言わないでくれと思っていたら、記憶が無くなった。おっちゃんのゴッドハンドで麻酔が効いたのかもしれない。
手術が何時間かかったのか記憶はなく、目が覚めたら手術はほぼ終わっていて先生に起こされた。足首前を固定していた3本のネジは抜けたけど、横の10cmのプレートは癒着が進んでしまっていて、骨をまた削らないと取れないからこのままにしてもいいかという確認を受け、プレートは残すことに。今は糸と針での縫合を行うのは一般的でないようで、バンガロールでの手術同様、ホッチキスみたいなのでガシャガシャガシャと縫合してすぐ終わった。
術後、記念に抜いたネジ3本をもらった
退院後の回復
翌日すぐ退院しても良かったが、病院食も美味しく、家に帰っても誰もいないからということで、もう1日延期してもらった。退院当日はまだ松葉杖なしで歩くことは出来なかったが、不思議なことに手術3日目からは痛みも何もなく松葉杖なしに歩け、1週間後には友人の乗馬クラブに居たポロ引退馬で駆け足した。ただ、靭帯の損傷が激しかったこともあり、靭帯の痛みはなかなか消えず、骨折から2年経って漸く痛みが消えた。しかし、今でもプレートが入っている脚の外側は異物感があるのと、たまに靭帯が痛む時もある。
④ 纏め
インドでの手術は悪く無かった。スリランカの友人の経験談で、クッキーを食べた手で処置されるかもしれないと疑っていたが、インドの巨大総合病院ではそんなことはなかった。
特に、抜釘手術ではインド軍での就業経験のある医師を選んだが、整形外科の中でもチーム編成がなされているようで、彼より役職が上のベテランの整形外科医と、彼より役職が下の整形外科医が手術に入り、術前・術後とも3名体制でサポートしてくれた。バンガロールの医師もグルガオンの医師もそうだが、名刺と連絡先をくれて、術後何かあったら連絡して欲しいと親身になってくれた。
手術代は幾らかかったかと言うと、バンガロールでのインプラントの骨折手術は約15万ルピー (約25万円)、バンガロールでのインプラントの抜釘手術は23万ルピー (約39万円)程度。両方とも会社の入院保険適用で大部分はカバーされ、自己負担となったのは、”consumable”のカテゴリーに入る、医師や看護師の手袋や包帯等で、どちらも約3万ルピー (約5万円) ほどだ。※会社の入院保険の上限金額や条件によって自己負担は変わるため注意したい。
インドでの怪我はこれだけでは終わらず、去年の2022年12月の年末に、ポロの練習試合でボールが顔に激突して8針を縫う怪我をした。縫合にはローカル病院に駆け込んだため、次回はその縫合手術の様子を書きたい。
最後まで読んで頂き有難うございました🙏
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