ポロ選手の中では、Winston Churchill さんが残した“A polo handicap is your passport to the world”という言葉が非常に有名だ。ポロ選手は、ハンディキャップさえあれば世界のどこでもプレイできるという意味であるが、実際には底辺選手にとってはそんな訳には行かない。今回は、底辺ポロ選手がインドで自馬を持ちインドでプレイすることの難しさについてシェアしたい。
インドで自馬を持つ覚悟
私がインドへの移住とインドを選択した理由はここの記事に書いているため割愛するが、インドに各地にポロクラブはあるもの、プライベートクラブ (紹介制含む) 又は軍施設が殆どで、一般開放されているポロクラブは、ムンバイのAmateur Riders’ Club、ジャイプールのRajasthan Polo Club(今年から)、ハイデラバードのアリーナポロのNASRとHyderabad Polo & Riding Clubくらいだ。私が所属するポロクラブは、クラブ所属の馬がいないため、自馬を持っていないと会員になることが出来ない。かつ、紹介制で条件は割と厳しい。
従い、私は今のポロクラブには自馬を持って会員になっている。どう会員になったかはまた改めて書きたいと思うが、外国人にとって『自馬を持つ』ということは、簡単に売買出来るものではないことを勘案すると非常にリスクである。その馬の一生の面倒を見られるのか?というのも疑問になる。India Polo Association(IPA、インドポロ協会)が認定する公式試合は置いておいたとしても、馬が最低4頭いないとクラブトーナメントにすら出られない。異国の地でそれだけの馬を持つ必要があるということだ。
また、底辺選手にとっては、自分自身で馬を作れる訳ではないため、コーチやトレーナーを探す必要がある。いいコーチやトレーナーに巡り合うのもなかなか難しい。そうであれば、一般開放されているポロクラブに所属すれば簡単な話かと思うかもしれないが、クラブ所属の馬は頭数が限られる。毎回のトーナメントで4頭分貸してくれるのだろうか?自分に合う馬が割り当てられるとも限らない。クラブ所属以外のポロ馬のリースも、チャッカーあたり数万ルピーと高額である以上に、その馬に何か起きた時に誰が責任を取るのかもリスクとなる。
従い、私は『自馬+半自馬(コーチとのシェア)』の覚悟・選択をして、今はこの形で試合に出ている。初めは自馬1頭からスタートして、徐々に増やしている。
因みに、私の自馬達はインドトッププロであるコーチ自身の試合にも出ている。要は、厩舎にいる全9頭のコンディション、私の技量、試合のレベル等も考えながらお互いに乗る馬をぐるぐる回している。
インドでプレイすることの難しさ
インドで公式試合に出るには、IPAに登録のあるポロクラブに所属して、クラブ経由でIPAにハンディキャップさえ登録されていれば問題ない。しかし、公式試合に出るには、『外国人』カテゴリーで判断される。従い、外国人は2ゴールの試合には出られない、外国人は1チーム1名まで、軍施設での試合の場合には申請書を書いて軍からの許可が必要等、トーナメント毎に様々な制約がある。”A polo handicap is your passport to the world“といえど、私はインドでは所詮『外国人』なのである。
また、ポロの試合にはチームオーナーのパトロンの存在が欠かせない。インド人のパトロンである彼らが、特に私のような底辺選手の外国人をチームに呼んでサポートするだろうか? このようなインド人パトロンに呼んでもらえる外国人は、だいたい+5以上のハンディキャップを持っているインド人プロ選手以上のプロだ。従い、私のような底辺外国人選手は、自分自身がパトロンになるか、インド人プロ選手より上のレベルになるか、スポンサーがいない限り公式試合への出場はかなり厳しい。また、馬術は男女平等なスポーツではあるが、ポロはどうしても男女で力の差が出る。従い、『女性』であることもよりハードルを高くしている。
一方で、女性だけの試合がインドでも毎年幾つか開催されており、これらの試合への参加には問題がなく、毎年IPA等からも声がかかる。また、クラブトーナメント、クラブ対向試合や、”Out of the Hat”と言われるハンディキャップが低い選手のための試合への参加は全く問題がない。
最後に…
インドで自馬を持ちインドでプレイするのは容易ではないが、私が最終的に目指しているのは、ピンクポロを呼ばれる女子のみの国際試合へ出場すること。難しい引退競走馬のサラブレッドで男性インド人プロ達と練習を重ねれば、いつかチャンスが来ると信じている。
最後まで読んで頂き有難うございました🙏
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