この骨折の記事や日本人がインドでプレイすることの難しさの記事にも書いているが、インドでのポロ生活は決して楽なものではない。心が折れそうになったことも、ポロをやめようと思ったことも何度もある。でも、そんな気持ちを全て吹き飛ばしてくれるような嬉しい出来事が、先週から始まった2023-24のポロシーズン最後となるデリーでの初戦で起こった。厩舎にいる牝馬の1頭が、トーナメントのファイナルでBest Playing Pony Awardに選ばれたのだ。今回は、彼女のストーリー含めて、この嬉しい出来事について書きたい。
Best Playing Pony Awardとは
どのスポーツにおいても、選手にとって試合でMVPを取ることは目標で名誉あることであろう。ポロの公式試合では、選手に渡るMVP以外に、最も功績を残した馬に与えられる”Best Playing Pony Award“というものがある。ただ、Best Playing Pony Awardはどの公式試合でも必ずあるものではなく、スポンサーにより、おそらく公式試合でもこの賞があるのは1/5以下ではないかと思う。
Best Playing Pony Awardは、試合のコミッティーメンバーにより選ばれるが、まずはBest Playing Pony Awardを取るためには約1週間に亘る試合でファイナルまで進まねばならず、かつ試合に出ている32頭以上(選手1人あたり4頭×選手8人の想定)の中から選ばれなければならない。Best Playing Pony Awardは、“Best Playing Pony”と書かれた試合スポンサーのロゴが入ったブランケットをかけてもらえるため、ポロ選手やポロ馬のオーナーとしては誇り高き賞である。私自身もこのBest Playing Pony Awardは、自馬を持つ選手として夢であった。
コーチとの約束
Best Playing Pony Awardが夢と目標と言えど、私のような日本人底辺ポロ選手がインドで獲得出来る可能性はゼロに近い。これをどうやって達成するか考えていた時に、コーチがある決断をした。
私が今のインドのトッププロであるコーチと出会ったのは2020年の夏。元々私は、別の厩舎で自馬を預かってもらっていたのだが、預かってもらっていたポロ仲間から、トレーニング料を払って少し彼(私のコーチとなる人物)を支えてあげて欲しいと言われたのがきっかけで、コーチと関わるようになった。しかし、その僅か数ヶ月後にコーチが足の指を骨折し、所属チームからのクビ宣告。ポロに限らず馬術はお金のかかるスポーツであるため、周りはビリオネアの方々も多いが、コーチは逆だった。『プロの世界』というものは厳しい。そんなこんなで2021年1月に、トレーニングだけでなく自馬自体をコーチに預かってもらうことになった。
コーチは暫くどん底の生活が続いていたが、そんな時にジャイプールを拠点とするチームに呼ばれてまた定期的な収入が入ってくるようになった。私の自馬もジャイプールに移動となり、ジャイプールまで自馬に乗るために通わなければならなくなったが、グルガオンに居ても土日両方ともグラウンドが開放される訳ではなかったため、問題はなかった。
そんな生活が約1年ほど続いたのだが、コーチは悩みに悩んだ末、この雇われていたチームから自ら去る決断をし、茨の道を選んだ。しかしこれにより、維持費を抑えるためにジャイループにある61st Cavalryの軍施設の中に厩舎を持つことになったのだが、日本人である私は簡単に入れる施設ではなく、大きなマイナスとなった。従い、私が我慢する代わりとして、コーチは今後コーチが保有する馬全頭をシェアするという交換条件をくれた。そして、厩舎にいる馬がいつか”Best Playing Pony Award”を取って、私がオーナーとして写真を撮る!という約束もした。
Best Playing PonyとなったGinny
前置きが長くなってしまったが、先週行われたGen Sparrow Cupというデリーでの4ゴールの試合で、コーチが所属していたMayfairというチームがファイナルまで進み、そのファイナルの試合でGinnyという6歳牝馬がBest Playing Ponyに選ばれた。Ginnyは数ヶ月前までエルボ部分に腫れがあり、その腫れの部分に影響がない短足な私だけが暫く乗っていた。このこともあり、GinnyがBest Playing Ponyに選ばれた時は余計に嬉しかった。
驚くことに、コーチは写真だけで馬の購入を決めてしまうのだが、Ginnyは唯一コーチが実際にトライして決めた馬で、かつ私もその現場に立ち会っているという様々な稀が重なっている。Ginnyをトライしたのが約2年前の2022年3月28日。Ginnyはコーチの友人のジャイプールにあるファームで飼われていた。コーチとしては予算オーバーだったが、競走馬の厩舎として良血馬が多いHZの厩舎で産まれており小柄。『この馬は必ず良く馬になる』との第六感で購入を決定。そして2022年4月19日にジャイプールの厩舎に到着した。その時の写真がこれ↓
そしてGinnyを迎えて2年経った2024年2月25日の日曜日。私の誕生日を3日後に控えている中で、GinnyがBest Playing Ponyに選ばれた。試合は残念ながらコーチのチームは8:5のスコアで負けてしまい、試合後、コーチは苛立ちを隠せない様子であったが、試合後すぐに1本の電話が入った。コーチが『Ginny』と言っているのが聞こえ、まさか…とは思ったが、電話の後にコーチが、“Mina Baba, Ginny is Best Playing Pony!”と笑顔で言った。感動して泣きそうになった。
ポロクラブのメンバーやグルーム達も沢山応援に来ていたため、みんなにGinnyがBest Playing Ponyに選ばれたことを言い回り、Award Ceremonyの開始を待った。アナウンスでGinnyの名前が呼ばれ、グルームがGinnyを連れて前に行き、試合のスポンサーにBest Playing Ponyのブランケットをかけてもらった時にはまた泣きそうになる。そして試合スポンサー、Ginny、コーチの写真撮影が終わると、コーチが声をかけてくれて“It’s yours”と言ってGinnyと試合のトロフィーを渡してくれた。夢が叶った最高の瞬間だった。
最後に…
後日談だが、コミッティーメンバーは、コーチの別の栗毛の馬(= Kesari)にBest Playing Ponyをあげたかったようなのだが、電話での説明では、『2チャッカー目の前半に出ていた馬(= Ginny)』と間違えて言ってしまったようだ笑。Kesariは1チャッカー目の前半に出ていた馬。どのみちGinnyでもKesariでも厩舎にいる馬に変わりない。Kesariは厩舎に来た時に完全にOTTBだったこともあり、これまで私自身も数回しか乗ったことがなく、逆にGinnyは厩舎に来てから数えきれない程乗っている。このGinnyとKesariの間違い自体も、ある意味運命に引き寄せられた結果かもしれない。そして、当日試合に出場したGinny, Kesari, Shakira, Alexaともみんな私にとってはBest Playing Pony。予備軍だったCoinとMessiも自分の仕事を全うしてくれた。
ここの記事で馬を作ることについて記載しているが、試合に出られるレベルの馬を作ることは簡単なものではない。アスリートでチームメイトであるポロ馬含め、毎日の血の滲むような努力がある。改めて、厩舎の馬達、コーチとグルーム、そしていつも手を貸してくれる周りのトレーナーやグルーム達に感謝したい。有難う。
Jai Hind!!!
最後まで読んで頂き有難うございました🙏
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